プロフィール・略歴
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- 1963年
- 福岡県筑紫野(ちくしの)市生まれ
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- 1982年
- 福岡県立筑紫高等学校卒業後、福岡県庁入職
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- 1989年
- 福岡県職員労働組合 青年部長
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- 1996年
- 同 筑紫支部長
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- 2005年
- 同 執行委員(労安部長)
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- 2010年
- 同 書記長
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- 2012年
- 同 委員長
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- 2014年
- 自治労中央本部 組織対策局長
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- 2015年
- 同 総合公共民間局長
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- 2019年
- 同 書記長
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- 2021年
- 立憲民主党参議院比例第15総支部長
- 参議院内閣委員会
- 行政監視委員会
- 東日本大震災復興特別委員会
- 資源エネルギー・持続可能社会に関する調査会
- 立憲民主党政務調査会長補佐
- 参議院国会対策副委員長
- 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
- 大好きなラグビーの精神を表した言葉です。まさに私の活動の基礎になっています。
- 明るい!情に厚い。食いしん坊で甘党。お酒は強くないです。
- 舞台・芝居を観る、落語を聴く、スポーツ観戦(とくにラグビー)
- カレーライス、オムライス、ハンバーグ、スイーツ
鬼木 まことの「これまで」
生まれ【1963年】
1963年福岡県筑紫野市(旧二日市町)、太宰府天満宮の隣で、豪放磊落な祖父と父の下、一人っ子として生まれる。幼稚園に入るまでは、家で一人遊びをするのが好きな、おとなしい子どもだったが、入園と同時に社交性が開花。ガキ大将の後について、近所を遊びまわるように。
学生時代【1970年~】
中学・高校と生徒会長を務める。立候補する気など更々なかったのに、「ほかにいないからお前やれ!」という先生の「判断」によるもの。
高校は楽しかった。毎日友だちとワイワイやるのが楽しみで、一日たりとも休みたくなかった。先生方にも恵まれ、多少のことは大目に見てもらえた。
福岡県庁入職【1982年~】
友だちの付き添いで福岡県の公務員試験を受けたら、合格。進学するつもりだったが、母親の強い希望で1982年に福岡県庁入職。県税事務所(徴収)、保健所(環境・公衆衛生)、総務事務センター(福利厚生)などを担当。何をするのか分からないまま入ったが、仕事は楽しかった。
福岡県職労青年部で組合活動開始【1982年~】
入職と同時に組合員に。当時「豪華知事公舎問題」が持ち上がっていた。1983年の知事選を控えた百条委員会設置のための署名運動に、青年部として参加。70人の職場で、うち20人が青年部だったので、自然な形で青年部の活動に参加していった。みんなで一緒に活動するのがとても心地よかった。
福岡県職労時代【1996年~】
県職労筑紫支部長になったころは、県の第三次行革の大波の時代で、県立5病院が全部民間委託に。指定管理となった太宰府精神病院の組合員180人のうち3分の2が新しい病院に移管。同時にみんなとともに労働組合を立ち上げた。
中央本部に来て【2014年~】
2014年には50年間過ごした福岡を離れ、単身東京の自治労中央本部に。働き方改革が導入される中で、地方公務員や公共サービス関連の民間労働者の労働条件の改善に取り組む。
また、非正規公務員の処遇改善にむけて、会計年度任用職員制度の立案段階から制度スタートまで最前線で奔走する。